はじめに
昭和の時代から、フィルムカメラのファインダーを通して、街や景色、人の顔を撮り続けてきた。
今では時代の流れに抗せず、デジタルカメラをもって、ふらふらと写真を撮っている。
10代の若き時から人生に転び、時には荒い連中の群れの中から、ある時には、ふらふらになって
明け方の街頭で壁にもたれながら、行き交う人の流れを見て過ごしてきた。
なんてことのない人生。
いつも道の地面すれすれから世の中を見てきた。
そして、ある時から思い立ったようにカメラを持ち、誰にも教わらずに独学で写真を撮り始めた。
なんてことのない、自分のための自分だけの風景を切り取ってきた。
夜を拗ねて生きてきた割には、人懐っこい面も少しはあったのだろう。
スカスカな人生の隙間を埋めるように、街だけでなく、人を撮る機会もぽつぽつ増えてきた。
同じムジナの、夜の女からガールフレンドといった身の回りの子を遊びで撮ったり、
似たようにはみ出した男たちなんかも撮ってやったり。
時代に取り残された割には、デジタルカメラや撮った画像をいじることも面白がり、のめりこんでいった。
意外とこまごましたものをいじるのも、夢中になる性分らしい。
もう人生も終わりが見えてきた時点で、今頃自分の性格がわかったところでどうにもなるものでもないが。
作風も、普通にサラリーマンで真面目に過ごしてきた人たちには、逆立ちしても同じにはできない。
たかがカメラをもってシャッターを押す。
それだけの行為でも、過ごしてきた人生ってものが現れるらしい。
そんな風に、無料で写真を頼まれては撮って、を繰り返しているうちに、
どうやら口コミで少しずつ評判になり、コスプレをしている女の子たちや、
ポートレートを撮って欲しいという子たちから、依頼が増えていった。
しがないカメラ好きの中年の余興は、古めかしい昭和の感性からくる写真の佇まいのテイストと相まって、だんだん物珍しい、変わった依頼が増えていった。
昭和チックな着物姿を和室で撮る、なんていうのは、まだまともな部類で、猟奇的な漫画のシーンを忠実に撮る依頼や、
昔の映画のポスターを廃工場に張り付け、さながら昭和にタイムスリップしたような撮影など。
来る子達も本格的にそれぞれの自分の世界にどっぷり浸かっている。
どの子達も個性的なのは衣装だけではない。
最近、私の処に来る娘たちは、どこか違う世界、ねじれた次元の隙間から、申し合わせて飛び出してきた猫たちのように、次から次へと、得体の知れない話をし始めては、私の腕を乱暴につかむと、彼女たちの世界へ連れ出していく。
中年の私にはさっぱり理解できない彼女たちの空想なのか現実なのかわからない話を聞きながら、かつて自分が不良だった頃の遠い昔を照らし合わせてみる。
時代や性別、過ごしてきたものは大きく違えど、少年少女の夢想する力は、
世の中に見えるものを変える力を持っている。
「自分が呑み込まれてしまいそうな退屈な日常の景色を、自分が存在する景色へ」
彼女たちの空想や想いが音を立てて理想の世界を作り上げていく。
この写真の館、「少女の空想地獄」シリーズは、そんな彼女たちが連れて行ってくれる
魔訶不可思議な時空間のうねりの世界の記録画である。
ここをご覧になっている、普段真面目に過ごしていらっしゃる世間の皆様の空間から離れ、
個性的な少女達の夢想力と、世の歯車からずれた中年男のカメラフィルタ―越しの空間が織りなす異次元空間の記録をご覧頂きたい。
そしてこの地獄空間に入り込んで自分の空間を作り上げたい、という子がいたら連絡願う。
カメラを持って、無限の地獄連鎖のバトンを渡しに繰り出したい。
(「はじめに」 終。 平成二十六年七月十九日)