「俺たちの旅」- 鑑賞記録 – 8.カースケと洋子の果てしない旅


青春TVドラマ「俺たちの旅」の鑑賞記録。


8.カースケと洋子の果てしない旅

洋子(金沢碧)の魅力は、オリジナル本編から三十年目の運命までを通した壮大な時間の流れを通して放たれる。
10代の青春時代のひとときは、一日一日が楽しいストーリーのような時間で形成されるが、
30代40代と年齢が過ぎるにつれ、日々の出来事よりは、年単位、10年単位の時間の経過が織りなす色模様の方に重みや意味がある、ということと同じである。

金沢碧さんという女優が演じる洋子という役は、正直、子供の頃はもっと明るいアイドルのような女優さんの方が良かったと思っていた。
しかし、今観ると、演技力で洋子とカースケ(中村雅俊)の関係性や、ドラマの空気を作り上げる力の優れた女優さんだということがわかる
そして「二十年目の選択」の役では、洋子に相応しい、凛とした湧き出る大人の女性の魅力を出していて、改めて最適な女優さんだということに気が付いた。


「俺たちの旅」はカースケ、オメダ(田中健)、グズ六(秋野太作)の男三人の友情・青春ドラマだ。
オープニングの主題歌と共に流れる映像は3人だけである。
当時の青春ドラマや少年漫画に登場してくる女の子は、主人公の男の引き立て役の域を
出ない場合が多い。
洋子も当初はそのような役回りで始まっている。
むしろ、口うるさい女マネージャー役として自由奔放なカースケの引き立て役にさえなっている。
子供の頃は、そんな洋子の存在は疎ましくさえ感じ、カースケしか見ていなかった気がする。

年を取ってから本編46話、そしてスペシャル編3話を何度も見返してみると、カースケと洋子の壮大な人生の時間軸が織りなす一つの旅が見えてきた。
これは本編46話の1年、それからほぼ10年間隔で向う30年に渡ってスペシャル版3編が加わって出来上がった旅の足跡であるし、観ている人間も30年~40年の人生経験を経て感じ取れる足跡でもある。
ここまで長い時間軸のドラマ鑑賞というのは感慨深いものがある。
なぜなら自分の人生、少年時代から青春時代、そして30代40代50代と自分の実人生を重ね合わせたものになるからだ。
スペシャル版3篇全て見終わって見えてきたものは、青春、友情、自分の生き方といった主テーマと同じぐらい、洋子の生き方やカースケに対する愛情が胸を打つ。
いろいろな”旅”が交錯する壮大な人生の物語だったのだ、という新たな感慨を得られた、というのが、「俺たちの旅」ブルーレイ全6巻を膨大な時間を費やして何度も見直した末の結論だ。

ここではカースケと洋子の長い旅について書いてみたい。

洋子は一向に就職活動を真面目にしないカースケを心配し続ける。
試験前に洋子からノートを借りたり、就職の紹介まで受けたりと、面倒のかけ通しだ。
いい加減なカースケはその場では感謝こそすれ、洋子を恋人として真摯に向き合おうとはしない。
代わりに真剣なのは友情であり、一日一日を楽しく生きることへのこだわりだ。


そんなカースケを洋子は献身的に心配し続ける。とりわけ心配しているのは就職のことだ。
自由奔放なところが魅力のカースケでも、大学卒業後は社会人として一人前になっていかなければいけない。
”毎日が楽しく”という価値観は学生時代までで、社会人からは”真面目に”必死に生きていかなければならない。
洋子だけでなく、オメダにしろ、ほとんどの人間はそう思っている。
カースケの信念は“一日一日を精一杯楽しく生きる。
その結果、一生が楽しい人生になる”
その思いをさらに強くさせたのが母親の死だ。
“死んでからではしょうがない。いきているうちにしなきゃ。生きているうちに”
洋子は、その価値観の違いを埋めようと、必死で努力し続ける。

カースケと洋子は学生時代から40代まで、それぞれの人生の軌跡で度々交錯を続けてきた。そして洋子の方がカースケの人生の軌跡を見守り続けた、という見方ができる。
お互いの人生が一つの線となる期間はなかったが、二つの線が急接近して幾度か見せた微妙な綾(あや)は、ほろ苦くも煌びやかで、夜空の星のように輝きを見せる。


「本編2:第一話~大学卒業編」「本編3:大学卒業~最終回」そして特別編3つで書いていないカースケと洋子の印象的なシーンについて取り上げてみたい。

第19話

グズ六が働いていた会社の部長は、奥さんに愛想を尽かされて子供を連れて実家に帰ろうとする。カースケは必死に説得するが、結局帰ってしまったことに無力さを感じる。
そしてカースケは出先から洋子に電話をかけ、“ずっと優しい女でいてくれよ”と言う。
カースケにとって洋子は、理想の女性像であり、常に見守ってくれる母親のような存在であ
ることが感じられる。

第20話

カースケのバイト先で、おじさんにけがをさせてしまう。
失意のうちに酔いはて、アパートに戻ると、洋子が訪ねていた。就職の紹介状を持ってきてたのだが、就職に興味がなさそうなカースケを見て帰ろうとする洋子に、
“いろいろ面倒見がいいくせに、肝心の時は面倒見悪いんだよな”
“つらいよ。洋子の言う通り、俺はいい加減かもしれない。”と慰めを求めて酔った勢いで洋子に抱きつく。
必死で振り払う洋子。
“と本気じゃないから嫌。酔っぱらってそういうことするのは嫌。本気で好きじゃないから嫌。”
と言って部屋を出ていく。
カースケと洋子が唯一抱き合うシーンだが、不真面目なカースケを拒んで終わる。

第32話

洋子が職場の先輩・矢沢から結婚を申し込まれる話だ。
詳細は「本編3:大学卒業~最終回」で書いたが、結婚という現実の前に、カースケも洋子も大いに悩む。どうしてよいかわからないカースケは、自分の気持ちとは裏腹に、洋子に結婚を進めてしまい、その後ひどく落ち込む。
洋子は洋子で、自分の本当の気持ちは結局カースケが好きだということに気づく。
自分の気持ちに正直になったらなったで悩むのだ。

カースケは自分の思いをグズ六やオメダ達に言い、洋子はオメダにいうが、お互いが面と向かって告げることはない。
ただ、酔っぱらってフラフラになってオメダに介護されながら歩く洋子は、
偶然カースケに出くわすと、”津村君はこんな時だけ優しいからいやよ“とだけ言って、心配するカースケを払いのけて泣き崩れる。

不器用なカースケは、洋子の気持ちに応える行動をとることができない。
まだふらふらしているカースケにとって、結婚は重く窮屈な”束縛“だ。

第34話

第34話では、ワカメとカースケが、「なんとかする会社」を作る。
一見、不真面目な行動に見えるこの起業に、
洋子は怒るかと思いきや、カースケにお祝い金を渡す。
夜の井の頭公園駅前。カースケはてっきり怒られるかと思い拍子抜けした顔で言う。
“ふざけてるって、怒んないの?昔の洋子なら怒ったのに。もっとちゃんとしろって”
洋子は
”もう怒らない。津村君には津村君なりの生き方があるんだってだんだんわかってきたんだもの“と答える。
カースケは
”時々怒れよ。洋子に怒られなくなったら寂しいよ“
という。

カースケにとって洋子が必要な存在であることを吐露するシーンだ。
またこのセリフからは完全に母親的な存在を求めていることがわかる。
洋子は、自由なカースケを許容しようとし始めた時に、当のカースケから”昔のように怒ってほしい“といわれ、戸惑いの表情を浮かべる。
そして洋子は、今まで口うるさく心配して言ってきたことがカースケにとっては煩わしくも必要と思われていたことを知る。

第41話

カースケの母親の恋人と出会う話だ。

母親が、ぐれている自分の心配をして自分の幸せを選ばなかったことを知り激しく落ち込む。
夜の公園で洋子に力なく言う。“生きているうちにしなきゃ。”
そしてカースケは珍しく洋子を飲みに誘い、二人で話をする。

「津村君がしたいことなら止めない。好きだから。」
洋子が言う。
バックに小椋佳の「少しは私に愛をください」のインストルメンタル曲がかかる。
そしてカースケは洋子に、2~3日どこか旅行に行こうと誘う。
この旅行は、かつて母が恋人と旅立った旅行と同じ期間だ。
同じ意味をその旅に求めた。
洋子は静かに頷く。
初めての二人の旅行。
二人の関係は近づくかに見えた。

しかし旅行当日、母の恋人は病院で息を引き取る。
終日、付き添うカースケ。
洋子は旅立つ駅ですっぽかしを食らう。
二人が結ばれるはずの旅は、幻に終わる。

第46話

最終回。
「本編3:大学卒業~最終回」で書いた通り、二人は一緒になることはなく、洋子の南米行きという形で別れを告げる。
矢沢に結婚を申し込まれたとき、あるいはこの南米行きが二人が一緒になる機会だった。
しかし、まだ社会人、いや男としての将来の生き方の不安と現実で精いっぱいのカースケには、洋子を強く引き留める余裕はなかったのだろう。
二人はお互いをわかりつつ、それぞれの長い人生を進むことになった。
これで本編の最終回は終わりになる。



しかし、その後のスペシャル版3篇、「十年目の再会」「二十年目の選択」「三十年目の運命」
は、カースケと洋子の邂逅とドラマは続く。
いや、このスペシャル版こそが二人の本当のドラマと言える。

「十年目の再会」

久しぶりに再会したカースケと洋子の人生は明暗が分かれていた。
意外にもカースケは仕事も順調で、女の子と遊びまくり人生を謳歌していた。
一方、一番順調に暮らしていると思われていた洋子は、地味な大学講師の夫に浮気をされた挙句、離婚を切り出され不遇の身だ。
久しぶりの再会。カースケには洋子を思いやる心の余裕もある。
離婚するかもしれない洋子の身を案じ、一緒に暮らそうと誘う。

カースケからの初めてのプロポーズ。
苦しい状況の中での思いがけない言葉だったが、洋子は”津村君に同情されるなんて嫌よ“と言って走り去ってしまう。
これが最初で最後のプロポーズで、二人が結婚する最高の機会だったが、二人の人生の線は一つにならなかった。
恐らく洋子は、カースケは恋焦がれる存在ではあったが、結婚するのであれば、学生時代のようにもっと自分の方に余裕があり、カースケを怒ったりできるような状態でなければならない、と考えていたのだろう。
男と女の関係は、斯くも繊細で一方の気持ちだけでは成り立たないものだ。
ここで二人はまた、一緒になる絶好の機会を逃してしまうのである。

「二十年目の選択」

「二十年目の選択」では、大人として成熟した40代の男女となり再会する。
カースケは社長となったが、仕事に教育熱心な家庭のパパとして汲々としていた。
洋子はミステリアスなところがあるが、10年前よりは幸せそうで、離婚後新たなパートナーと安定した生活を送っていた。
洋子の一言で、カースケは”かつてのカースケ”の戻ろうと決意し、家庭を捨てて海外に旅出そうとする。
カースケが“自分らしさ”を取り戻すにつれ、カースケと洋子も学生時代のような関係へと戻っていく。
カースケが洋子に、かつての自分を叱咤激励する”母性”愛で包むような洋子であることを求めたのだ。

仙台で最後に二人が語るシーンは、スペシャル版3篇を含めた俺たちの旅全シリーズを通じて、カースケと洋子の物語の最高のクライマックス・シーンだ。
このシーンについては「二十年目の選択」に書いたが、
ここでは、二人が語る最後のシーンで、立ち去ろうとするカースケを呼び止めた後の
二人の長い沈黙について、考えてみたい。

洋子には、”行かないで”と言う選択があったのだ。
頭の中でそうよぎったのかもしれない。
ここでカースケと一緒にマジョリカ島に行く選択しもあり得たのだ。

少しずつ二人が距離を詰めていく長い沈黙の中で、洋子は多くのことを考えたのだろう。
そして、結局、自分にとっての理想のカースケは”その日その日を楽しく生きること”。
その理想の恋人のカースケになろうとして旅立とうとするのを引き留めたりするのではなく、背中を押してあげて”自由なカースケ“でいさせることが、二人にとって最良なのだ、と決めたのだと思う。

洋子にとっての幸せでなく、カースケの幸せを考えたのだ。
そしてカースケが、今後、自分のことを心配になって迷ったりしないために、
安心させるために幸せなふりをする。
究極の突き放しをするためにとっさに”妊娠した“とうそをついたのだ。
洋子が仮にカースケと結婚しても、カースケは自由を求めて自分の元から離れてしまう可能性を大いに感じている。そんな辛い思いをするのなら、自由なカースケを見守っている。二つの人生がいつまでも並行して進んでいく人生。
それが二人にとって一番良い道なんだと、ずっと思っていたのだろう。

恐らく洋子は、米子でカースケと別れてから再会までの十年間、決して楽しく充実した幸せな人生を過ごしたわけではないのだろう。
「三十年目の運命」で、大学の教授の夫が登場するが、地味な男性だ。
平穏な生活を送っていたが、内面でどれだけ幸せな人生を過ごしたのか?は最後までわからない。

しかし、洋子にとって、カースケが何度も自分の大切な人生の決断を頼ってきてくれている、ということに、十分幸せを感じたのだ。
常に相思相愛の恋人でなかったし、音信不通の時間も長かったが、洋子の心の中に、永遠に”心の恋人“としているカースケがいたのだ。
その”恋人“が頼ってくれる。
それだけで、この十年は報われたのだと思ったのだろう。結婚するのであれば、学生時代のようにもっと自分の方に余裕があり、カースケを怒ったりできるような状態でなければならない、と考えていたのだろう。
男と女の関係は、斯くも繊細で一方の気持ちだけでは成り立たないものだ。
ここで二人はまた、一緒になる絶好の機会を逃してしまうのである。

「三十年目の運命」

「三十年目の運命」で、洋子が亡くなっていたことを知り、洋子の家を訪ねると、
洋子は、カースケと一緒に鳥取で一夜を明かした旅行の時に買った思い出の砂時計を、大切に持っていた、と夫から聞かされた。
そして洋子は、「私は幸せだったのよ」と言ったという。
この言葉は、もしかしたら夫を通じてカースケに伝えたかったのかもしれない。

洋子の長い旅

不遇な人生を送ったようにも見えるが、学生時代の恋人との一夜の思い出を一生大切に胸に秘めて生きてきた。
大人になって何度目かの再会で、カースケは”自分の好きな昔のカースケ”になってくれた。
その後押しをした。

“幸せだった”というのは、仙台で再会した後の人生の幸せでなく、カースケが頼ってきてくれた、というその一瞬を心に秘めて、砂時計と共にずっと心の幸せを保ち続けたのだろう。

そう。洋子は”心の恋人”と寄り添い、最後まで幸せを感じて死んでいったのだ。
恋人が他の人と結婚していても、幸せであればそれでいい。
自分も幸せでいることで恋人同士の人生は幸せで居続けられる。

好きな人と結婚するだけが愛の形ではない。
それが”人生はパイの取り合いじゃない“と洋子が思うに至った、恋愛の境地なのだろう。

一方、カースケは、洋子の励ましに感謝しながらも、自分の生き方に必死で、人生を生きてきた。
洋子を振り回して、不幸せにしてしまっているのではないか?と悩みながらも
洋子の死を知ってから、母親の時と全く同じ後悔をするのだ。

男の愚かさを、カースケは長い人生をかけて繰り返す。
悔いても悔やみきれない思いを50代でするのだ。
しかし誰が責められよう。
多かれ少なかれ、人は皆、似たような不作為の愚行を繰り返しているのだ。
そして人生の終盤に向かって静かに時は進んでいく。
それが人生なのかもしれない。

カースケは洋子が死んで、改めて洋子の存在と愛情に心底気づくのだ。
そして洋子が亡くなっても、カースケの心の中に永遠に洋子は存在する。


ところで洋子にとって青春時代は楽しかったのだろうか?
そう思うかもしれない。

しかしその答えは、洋子自身が第25話、会社の先輩社員、矢沢から聞かれた時のセリフでしっかり答えている。

”彼はあたしの青春だったんです“

洋子もカースケと同じく、必死に毎日を楽しく生きようとして過ごしてきたのだ。

(「カースケと洋子の果てしない旅」 終わり)


2019年2月24日


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