第二章 : 消し去りたいモノ
言葉はピストルになりえる。
もしも自分の愛する人から、聞きたくない辛らつな言葉を浴びせられたら
どうだろう?
ピストルなら一瞬で意識を失うだろうが、言葉はそれ以上の効果がある。
長い時間、人の頭の中に残り、責め続ける。
愛する人から、裏切られる行為をされたらどうだろう?
無視は、どんな行為よりも、苦痛たりえる。
街を楽しそうに歩いている人たち。
平和でいるようで、多くの人々がそんな経験をしているかもしれない。
いや、街を歩きながらも、そんな思いを頭に浮かべているのかもしれない。
何かピストルを持った二人組が、さっきまでいた街のどこかに潜んでいる
気がした。
自分には到底かなわない冷徹な判断力と訓練された高度な運動神経を
兼ね備えた人間が、どこかで自分を苦しめる記憶を処理するために
行動してくれているような。
そんな虫のいい妄想が何か具体的なイメージとして、二人組の姿として頭に
浮かび上がった。忠実なプロの仕事屋が、依頼人もはっきり説明できない
仕事に取り掛かり始めた気配を感じた。
美しい思い出は、切なくも残酷だ。
その終焉が誰のせいでもなく自分のせいだと納得した時に、それは夢から現実へと変わる。そして体内で溶けない鉛の銃弾のように、重く体内に残り続ける。
かといって、ずっとその事実に対峙するわけでもなく、
楽になりたくて、ふらふらとしている。
まだ午後の日差しが明るいうちに、海の見える無人駅にたどり着いた。
ほとんど人の姿の見えない駅。
古びた屋根のむこうに、青い海が見える。
また昔の出来事を思い浮かべた。
決着させたいもの。
それは人なのか?
感情なのか?
それとも、別の何かだろうか?
それは消し去ることができるのか?
消し去るべきなのか?
遠い記憶にある、寂しい表情。
街中でただ一人、自分だけが向き合って見た世界で最も悲しい表情。
誰かが刺客として、一つ一つ絡みあったやっかいな人生のほつれを
闇に葬りさってくれたら。
そう。いくつになっても人は救いを求めている。
分別のついた大人だからと、人は意識の中で自分を説いている。
そして窮屈に自分の限界を超えたものを詰め込んでは途方にくれている。
そんな時には素直に誰かの救いを求めるべきなのだ。
まるで自分の専用護衛隊のように、かたっぱしから自分を苦しめるものを
打ち砕いてくれる人を。
消したいもので頭の中がパンクしないうちに。
自分を苦しめている、自分が大切に抱えているものも、捨ててしまえるように。
まるでどこかの映画館で映画が予定時間通りに開始するかのように、
どこかで自分の意識を”含んだ”場所で、何かが始まった感じがした。
それは今握っているハンドルが”ここにある”ぐらいの確かな感触を持って。
どこか遠い場面での緊迫した行動が、自分の”意識”も行動範囲に
”含まれている”。
強い無意識の念が、誰かを呼び起こしたような感覚。
夏の青い空の下に似つかぬひんやりとした瞬間。
何かが暗躍している。
目の前の景色、さっき見てきた街の景色と同じ光景で少しだけちがう”世界”が
自分を”含んで”進み始めている。
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