第三章 : 誰かを大切に
依頼者のいない作業がどこかで行われている。
自分が無意識に望んでいること。
亡くしてしまうことで楽になること。
亡くしてしまうことで、永遠に”失って”しまうこと。
表裏一体の大きな記憶は、もはや自分でも説明できない巨大なブラックホールとなり、かつての大切な人も自分の苦悩も、重力を失って浮遊する空間となっている。
時間の始まりも終わりも、いつの間にか失われ、現実の自分さえもそこへ吸い込まれそうになっている。
誰かの足音が聞こえる。
車から意識が遠ざかり、長い年月の終焉を告げる予感が確かな感覚として
広がっていく。
ふと気がつくと、遠い意識から激しい重力を伴って現実に戻されたような感覚。
稲村ガ崎から材木座へ抜ける134号線は、真夏の景色を求める人々の車の
列が延々と織り成している。
びっしょりと背中に汗をかいている。
まるで半日どこかで激しいスポーツでもしてきたみたいだ。
それぐらいの消耗感と時間の空白を感じる。
しかし冷静に考えると、今まで車で運転してきた道を全て思い出せる。
窓を開けると、のんびりとした湘南の海辺の風景。
南西の風が強く吹き付ける浜沿いでは、満足げなサーファー達が今日の波に
ついて語っている。
“誰かを大切にしよう”
突然、そんな言葉が頭に浮かんだ。
”誰か”って誰のことだろう。
自分の言葉に驚き、その誰かについて考えてみる。
誰も思い浮かばない。
友人。
職場の人間。
最近出会った女友達。
特に誰も思いつかない。
まぁ、いいか。
きっと久しぶりの湘南の景色のせいだろう。
誰でも気分のよい時は、何かいいことがしたくなる。
そう。
誰かを大切にしよう。
そう考えているうちに、海沿いの道から離れ、横浜横須賀道路へ向かう。
相変わらずの渋滞。
すっかり周りは暗くなる。
ふとまだ若干夕陽の残る夕空を見上げる。
そこには、綺麗な三日月が二つ並んで浮かんでいた。
その瞬間、頭の中から永遠に思い出せない何かが消え去ったことを悟った。
二つの月は、自分とは別世界に住む仲むつまじい生命体のように見えた。
月の光は燐として輝き続け、そこに新たな居所を見出して新しい世界を
作り上げたかのようであった。
決して手の届かない遠方で寄り添うように光る姿は、
失われた記憶の遠くにある、最も悲しい光景の象徴のように映った。
(終)
2009年7月