ラスト・ワルツは永遠に – Part 2


潮流

いい時は長く続かない。
もともと自分にとって、七面鳥カフェとの出会いの時期は、
”何か”の始まりであるとともに”何か“の終わりの訪れでもあったのだ。
ささやかな自分にとっての時間の充実とは裏腹に、
一日の大半を占める時間は、年と共に重くなっていく。

2011年には渋谷を離れ、今年からは昼も夜も横浜の生活になった。
七面鳥カフェへ足を運ぶ機会も減っていった。
この数年の時代の変化は私にとっても、そして七面鳥カフェにとっても、
あまり良い流れにはならなかった。
若い世代から40~50代の家庭持ちの世代まで、一様に夜通し飲み歩いたりする習慣は失せてしまった。
夜通しどころか、仲間内と少し寄り道をしたり、一人で外食する習慣まで、
不景気の波はゆっくりと、しかし確実に浸食し続ける。
真っ直ぐ急ぐように帰宅をする、せかせかした人の流れ。
その流れに身を任せて帰宅へ向かう電車に運ばれていく日々。
無抵抗に自分もその流れに身をゆだねていった。


そして先月、七面鳥カフェの閉店の知らせを聞くことになる。
その日一日は何をしていても空虚な気分だった。
自分にとっては、年老いてからの青春の時に終結の鐘を鳴らされたようなものだ。

七面鳥カフェで過ごした全ての時間は、自分にとっても今も財産であり、
思い返しても至福の時間であった。

1976年、“ザ・バンド”というロック・バンドの大規模な解散コンサートが行われ、
マーティン・スコセッシ監督が撮ったドキュメンタリー映画「ラスト・ワルツ」がある。
‘60年代のロック・レボリューションは若者の文化や生活に大いなる変革をもたらし、
政治活動にも大きな影響を与えた。
’70年代に入り、時代も移り変わるにつれ、ロックはだんだん時代や人々の熱中からは距離が開いていった。
「ラスト・ワルツ」は”ロックの終わり”の象徴のイベントのように語られることが多い。
七面鳥カフェを愛する人たちの多くは、今回の七面鳥カフェの閉店の知らせに、
”ザ・バンド“の「ラスト・ワルツ」を重ねて思う人も多いだろう。

閉店日に店を訪ねた。
何人か先客がいたが、食事を終えると他のお客さんが皆、帰り、マスターとしばし二人になる。
ここ一週間に来たお客さんの話等をしたり、何枚か店内の写真を撮ってみた。
しばらくすると、なじみの常連客がやってきたり、知人のあらけんさんが突然入ってきたので
自分のテーブルでしばし話しこんだ。
あらけんさんはライブを観にそろそろ出かける、と言って店を出た。


ミュージシャン、HISAO氏。「Ieyasu」を演奏してくれた。感謝。


酒があり、友がいて、音楽がある。


閉店の日に駆け付けてきた、あらけんさん。律義で情のあるナイスガイだ。こういう人に出会えたのも”ロック”が縁だった。

マスターの写真も撮った。
意外にも真面目にマスターを撮影したのはこの日が初めてだ。
感慨深げにいつまでも片隅に座り込んでいるのもみっともない。
七面鳥カフェ最後の日ということで、お客さんたちが入れ代わり立ち代わり入ってくる。
テーブルを空けるために、席を立ち、マスターに別れを告げ、店を出た。

いつも渋谷駅から行き来している小道を歩く。
少し肌寒い秋の空気を切りながら、雑居ビルの間の細く長い道の先には、いつものように
殺風景なビル群と、その上にはもう夕暮れ近い少しきつい日差しが青空からこちらにのびている。

今まで何度も見てきたこの道の景色を、七面鳥カフェ・ファンの人たちは昼も夜も、
店内で聴いたレコードを自分の頭の中でもう一度かけながら、
静かに通り抜けて行ったのだろう。
そんなロック・ファンの数も、歴史のあるロック店一つ盛り立てられないほど減ってきているのか?
という思いに駆られると、やりきれない心情になったが、そんなことを考えても仕方がない。


閉店の日の昼下がりの店内。 飾られているすべてのオブジェが今日で最後だということを知っているかのような静けさだ。


長年お世話になったロック本の数々。もうここ以外では読めない本ばかりだ。


閉店最後の日はいつもの指定席。 カウンターの端の狭い席がいつの間にか居心地がよくなった。

ラスト・ワルツは永遠に

ロックとはなにか?」

私の答えは決まっている。

”ロックとは恰好つけることだ”と。
そして”格好つける”とは、”自分らしく生き続ける“ことなんだと。

“ラスト・ワルツは鳴りやまない。”

年を取ろうが不景気の波が吹き荒れようが、心の中で”ロック”を鳴らし続ければ、
いつまでも”ロック”と共に生きていることになる。
好きな音楽を愛し、若いころのように夢中でロックを聴き、
自分らしい生き方を追い続ける。
今まで生きてきて見つけた、自分の人生の真理だ。

長い間人生の旅の放浪を続け、失敗も多く繰り返し、
今もじたばたしている愚かな自分がわかったことはこの程度だ。
今後生き続けても年を取る一方で、これ以上賢くはなるまい。

自分はこう信じて、時には厳かなセレモニーのように、時には景気づけのファンファーレのように、
いつでも”ロック“を心の中に鳴らし続けよう。

こんな愚かな男に、そんなことをわからせてくれた偉大なる”ロック・カフェ”を
作り続けた七面鳥のマスターの心意気と超人的な努力に、心から感謝したい。
マスターのロック魂による挑戦はまだまだこれから続くはずだ。
自分も及ばずながら、後を追いかけたい。


”ザ・バンド“が解散しようが、七面鳥カフェが閉まろうが、
”ラスト・ワルツ“はまだ鳴りやまない。

(終)


2012年11月19日


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