彷徨い – Samayoi – 最終話


最終話

榊原と別れて新たな放浪の時を過ごして一年ほど経ったある日、
由紀は、久しぶりにかつて榊原に呼ばれて時間を過ごした都心のホテルへ向かった。

部屋に入り、少し心を落ち着けた。
改めて見る、この部屋の光景。
一人で感じる部屋の空気は、以前とは比べようのないひっそりとした静寂の空間だった。

服を脱ぎ下着姿になると、かつてこの部屋で身に着けていた手錠と首輪をつけてみた。
そしてやはりかつて何度となく這っていた床に膝まずき、机に伏して目を閉じてみる。

数年前、自分がここで過ごしてきた時間を思い浮かべてみる。
首に巻きつく皮の首輪の感触が、今、唯一生きている証しだ。
ひと通り、記憶を巡らせると、目をゆっくりと開け、現実のこの部屋に意識を戻らせた。

もう迷いはない。
部屋の鏡を見つめると、映し出された自分の顔に対峙した。

覚悟を決めると用意してた白い箱の中に入ったビニール袋をゆっくり破った。
つんとした匂いが鼻を突き抜け脳の奥にまで微かに響いた。

振り向いてゆっくり下着を脱ぐと、白いベッドにもぐり込んだ。
わずかにひんやりとした感触がするが、その感覚も遠ざかっていく。

「ここが私の唯一の場所。
他人に決められてきた人生。
自分を導いてくれる人がいつもいる、と思い続けてきた人生。
もう遅すぎるかもしれないけれど、やっと今は”自分”になれた。

これからが本当の私。
やっとここにたどり着いた。

私は誰でもない“モノ”に支配され続ける。
その瞬間は永遠に続くの」

部屋には、だんだんと白い霧が充満している。
由紀の呼吸は少しずつ穏やかになってきた。
白い霧の光景は、遠い記憶の彼方に、
家族と訪れた軽井沢の早朝の森の景色と重なって見えた。

目を閉じると少女時代の自分が霧の中を歩いている。
冷えこんだ空気の中、霧の向こうに見える暗い森の深淵は、
初めて見る暗闇の記憶だった。
その暗闇を不思議そうな顔で見ている少女の顔が、少しずつ白い霧で覆われ始め、
次第に何も見えなくなっていった。

そして、冷たい空気が頭の先から足元へすっと落ちていった時、
先ほど見ていた深淵の中に入り込んだような気がした。
そこは永遠に続く自分の彷徨いの出発であり、
初めて見つけた居心地の良い無の真空世界だった。

私は誰でもない“モノ”に支配され続ける。
その瞬間は永遠に続くの

 

 (終)


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