土に眠る少女 – 5


最終話

洋子から連絡が途絶えた。

メールも携帯も通じない。
今の時代、メールか携帯の連絡先さえ知っていればいつでも会える、という感覚がある。
ところが、いざ両方の連絡がとれないと、急に世界からぷつりと存在が消えてしまったように思える。
もう何処にもいない、決して会えない人になってしまったような絶望感に襲われた。

洋子と連絡のとれない空白の時間が、じわりじわりと自分の頭の中のパズルのピースをつなげていく。
洋子と、夢に現れる少女が一本の糸で繋がれ、次第に近づいていく。
喪失感と後悔の念の中で、二人の顔が一つになる。

ある晩、再び夢を見る。


見たことのないような、寂しく険しい道を歩いている。
シベリアのような寒々とした気候で、どんな生物の愛着も受けずに無言で真っ直ぐに伸びてきたような木々。



自分は導かれるように、山の合間を縫う道を歩いている。
谷間の向こうに何か目的物があるという確信のもとに、黙々と歩き続けている。



この谷の先に、見たことのある団地が見えてきた。
いつものように団地の陰に行く。
あの少女がいつものように一階のベランダの下で横たわっている。

いつになく記憶がはっきりしている。
そうだ。
夢で自分が少女を殺したのではなく、既にここに埋められて眠っていたことを知る。
自分は夢から、いつもこの少女に呼ばれていたことを悟った。

その瞬間、死体だと思っていた少女は目を覚ました。
大きな瞳を見開き、自分を見つめている。
その目はまるで地中海のエメラルド・ブルーのような輝きを放ち、自分の瞳孔を
一点、 凝視していた。

“助けて”

この言葉を聞いた時、最後に洋子が別れ際に呟いた言葉と、全く同じ響きなのがわかった。
少女はゆっくりと立ち上がり、よろよろと歩き始めた。
まるで生まれて間もない動物が初めて歩き出したかのように。

団地の横は、少し離れた生い茂った森に向かって、木々が何本か立ち並んでいる。
少女は少し歩き、一番近くの太い木のそばまで歩いた。
そして急にこちらを振り向くと、真っ直ぐな姿勢で立ち止まり、私をじっと見つめた。

“君は・・・”
自分の動悸がはっきり聞こえる。
夢ではなく、確実に今、どこか知らぬこの地に、生身の自分が存在している。
ただしここは自分が知っている世界ではなく、日常のどこでもないことだけははっきりとわかる。
気がつくと、団地の上では母親が厳しく子供を叱っている声が聞こえる。
一つの部屋からではない。
ここの団地全体が、厳しい親の家族の集まりかのように、けたたましいどなり声と
小さな悲鳴のような子供の声が、ひっきりなしに響き渡っている。
息が詰まるような日常が濃縮した、監獄のような空間だ。



“君は・・・ここに・・・埋められた”

瞳を全く動かさず、少女は僅かに顎でうなずいた。

“僕は、未来の君と、会ったことがある”

この少女は今、僕を必要としている。
空を見上げた。
見たことのないほど艶のない空だ。
空は遥かに低く、団地のすぐ先ぐらいの高さに感じた。
まるで安っぽい劇場の中にいるかのような、小さい空間に居るように思えた。

一つ、小さく息を吸って、気持ちを静めた。
そして、ここの世界の住民になる覚悟を決めた。

じっと目の前の彼女の顔を見つめる。

“君のことを、ずっと守る”
“ここにいて、ずっと君を守る”

自分の言葉が力強く感じられた。
今まで自分が生きてきた現実の世界の、どんな場面よりも、確かな言葉として自分の心に響いた。
彼女がベッドで語った、少女時代の寂しく孤独な日々の話が思い出された。

少女の両手がふいに自分の首に伸びてきた。
細い指が少しずつ力強くなり、自分の首を締めあげてくる。
初めて触れる少女の指は、ナイフの刃のように冷たく感じられた。

初めて少女が夢に出てきたことを思い出す。
“もうこの少女が夢に出てくることはあるまい“

そう頭の中で思うと、まるで少女は自分の心を読んだかのように呟いた。

“その通りよ。貴方も今日からここに眠るの”

 (終)


2013年10月5日

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