No Direction Home  - 3


第三話 アシュケナージの憂鬱

昨日の理沙とのひと時を思い浮かべながら、仕事場へ向かう。
いつになく職場のある街は霧がかかっている。
体が緊張してくる。
一気に味気ない現実に引き戻される。
朝8時過ぎから携帯に立て続けに厄介な電話がかかってくる。
歩きながら用件を聞き、何とか対応する。

理沙とのひと時は自分の人生の中でも極上の時間だ。
それは間違いない。
自分にとって理沙はかけがえのない素晴らしい女性だ。
しかし、理沙と会った翌日には、まるで甘い時を過ごした罰かのように、
次から次へと厄介な仕事が降りかかる。
そして自宅や仕事場では霧が濃くなり、ガスマスクが手放せなくなる。

自分がいる業界もこの15年間で大きく変化した。
自分がやれるだけのことを、人より手早くやっているようにも思えるが、
年とともにマシンのような無機質な生物になっていくようにも感じることがある。

そんな一日の繰り返しも終えると、帰宅途中のいきつけのカフェ・バー
「No Direction Home」へ夕飯もかねて立ち寄った。
ここは最近で、唯一ガスマスクを外してくつろげる場所だ。
30代後半の自分にとっては、’70年代のロックや古いブルースがかかるこの店は趣味が合う。
徹底的に古きよいアメリカン・テイストの店内のインテリアで暗めの照明は、
本来アウトロー的な自分の生来の場所ではないか?とさえ感じさせる。

店員とも顔なじみで、常連客の友人も増えてきたこの空間は、
青春時代の懐古の場にもなってきている。
席に座り一人で落ち着いていると、アシュケナージを思い出した。
今の自分にとってアシュケナージは、少し窮屈な音楽だ。
緊張感を少しだけ感じたが、すぐさま店内にかかった
クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤングの曲でかき消された。
いつものように店員と軽口を叩き、最近知った同年代のサラリーマンと
無難な世間話を交わし、2時間ほどで店を出た。

店を出て帰宅途中、携帯に理沙の留守電メッセージが入っているのに気が付いた。
最寄り駅を降りて家の途中はまた激しい霧だ。
目の前の霧を払うようにして注意深く歩くうちに、
理沙との記憶は薄らいでいった。

 

(第四話へ続く)


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