ショーケン、死す


ショーケン、こと萩原健一が2019年3月26日に亡くなった。
歌手、俳優として活躍し、ショーケンといえば「太陽に吠えろ」「前略おふくろ様」等のTVドラマで有名だが、なんといっても「傷だらけの天使」の修(おさむ)役だ。
冒頭の部屋で朝食を淡々と食べるシーンは強烈だ。
歌手としては、1967年からグループサウンズ、テンプターズで大人気を博して芸能人としてのキャリアをスタートした。
1970年にテンプターズ解散後はソロ歌手として、俳優同様個性的で独自のスタイルを歩み続けた。

私にとっては1979年に柳ジョージ&レイニーウッドをバックに行われたライブアルバム、「熱狂雷舞」からShanri Shanri(1983年)あたりまでの油に乗った時期に熱烈に聴いていた。
一流ミュージシャンぞろいのバックバンド、ドン・ジャン・ロックンロール・バンド、アンドレ・マルロー・バンドを従えていたこの時期のCD、ライブは今も自分の中で色褪せない。
ショーケンのコンサートは3回行ったが、忘れられないのが武道館コンサート。
幸いにも前から8番目ぐらいの正面で友人と観た。
大麻で捕まる前の時期だったが、ステージのショーケンは”狂気“に満ち溢れていた。
隣の友人が”怖い”とつぶやいたのが忘れられない。
それほどあの日のショーケンは”振りきれて“いた。

独特のお洒落な服装、そして音楽と共に、”ショーケン”という揺るぎない孤高の存在感を確立していた黄金期だっただろう。
決して商業的に売れていたわけではないが、コンサート会場にはスノップでお洒落な大人達で溢れていた。当時、自分は大学生でファンの中ではかなり年下の部類だったが、そんな”大人の音楽”の世界が心地よかった。

武道館コンサート後まもなく大麻で逮捕される。
そして1985年によみうりランドEASTで行われた復活ライブはDVDで何度も観ているが、これもまた凄まじいパワーのコンサートだ。
1曲目は「シャ・ラ・ラ」から始まっている。この曲はもともとバラードだが、DVDではコンサートで盛り上がっているところでこの曲を歌うところからスタートしている。
この曲の盛り上がり方がなんともカッコよい。
ステージのボルテージも尋常でない。

”大人の男の色気“をこれだけ強烈に解き放つ歌手・俳優を私は他に知らない。

2000年代になって歌手も復活を遂げたが、喉をつぶしていて往年の声が出ず、残念ながら“昔の名前”でやっているような状態だった。

「傷だらけの天使」の修、’80年前半の歌手時代が、自分の中での”ショーケン“だ。

「傷だらけの天使」は全巻ブルーレイで持っている。
今日は最終回を久しぶりに観てみた。
水谷豊の“アキラ”とのコンビで有名なドラマだ。
若いエネルギーを発散する二人が、不器用に大人に使われながら、生きていくストーリーだ。
最終回はアキラが死んでしまう。
アキラの死体を風呂に入れ、リヤカーで夢の島で連れていく最後は、ファンの間で語り継がれている。
そしてラストシーンの後は、撮影完了後の、今でいうオフショットのようなシーンで終わっているのも、ナンセンスぶりを発揮していて、これも「傷だらけの天使」らしい。

最近、自分のHPで「俺たちの旅」のことを書いたが、’70年代の空気感は、この時代を少しでも知っている世代の人間にとっては後ろ髪を惹かれるような世界観を持っている。

こんなハチャメチャな生き方をする男達に憧れながらも、平凡な人生に終始した自分にとっては、いっそのこともっと早く”アキラ“のように散っていった方が本望だったのでは?と思ってしまう。

ショーケンは多くのファンに”男の色気“を長年振りまいて生きてきたが、「傷だらけの天使」の修が現実で生き続けた人生とも言えなくもない。
俳優としては数々の名作TVドラマ、そして映画に出演した。
個性派俳優として、絶頂時は大成功を収めたといっていいだろう。
一方、4回の逮捕歴。
逮捕の度に芸能人としてのキャリアは中断された。
晩年は俳優として表舞台に立つことはなかった。

そんな人生そのものが、ショーケンらしいし、ファンの心を打つ。
晩年の人生も、カッコよいショーケンのままでいた。

もっともっと多くのドラマに出演して、もっと多くの優れた音楽アルバムを出すことができたのに、という思いが残る。

気が付けば、ステージ同様、軽やかなステップで一目で人の心をつかむ笑みを浮かべながら、突然、舞台裏へ去っていった。

間違いなく、希代のスターである。

(終)
2019年3月30日

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