荒野を往く魂


昨日、ヨットで単独世界一周航海中のアメリカ人・16歳の少女が遭難信号を送り、
連絡が取れないというニュースを見た。
その後、無事であることが確認されたが、この少女が荒れ果てたアフリカ大陸東側の海で
マストが海水にたたきつけられる状態でヨットの中で生死の境界線を
彷徨う時間を過ごしている姿を想像すると切ない思いに駆られた。
自分もかつて首の調子が悪い時に、沖合10kmほどの海上でウィンドサーフィンのレース中に
呼吸困難でセールを海面に卸し、ボードの上にうずくまった時は死を覚悟した。
今、世界一周航海中の少女の格闘は、その比ではないだろう。

そんな黒い海の地獄絵を暗澹たる思いで想像しているうちに、
ある全く異なる壮大な光景が頭に浮かびあがった。




1990年代の或る日の事。
中国大陸を三日三晩走り続けるSuzukiのジムニ。
目指す先は中国大陸の遥か東方にあるチベット。
一人ハンドルを握るのは或るアジア人。
その男は車を走らせ続け、向かうべき方向を何度か見失いかけながらも、命がけで砂漠を旅している。
この数日、口にしたのは、旅の途中で倒れこむように体を休めた土地の、
わずかな緑の中で見つけた小さなトマトのみ。
日本で言うプチトマト程度数粒のトマトで生命線となる水分とわずかな栄養をとり、
一心不乱にチベットへ徒を進めた。
命をかけた旅は功を奏し、チベット仏教のとある集団に無事会うことができ、
彼の後の武勇伝がまた一つ増えたことになる。

2005年のとある日。
私の元にたどたどしい日本語で電話がかかってきた。
幾つかの仕事に関する質問をしてきて、全てできる、と答えると、早速会いたいと申し出てきた。
数日後、3人のアジア人が私のオフィスにやってきた。
ソファに座ることを促し、日本式の名刺交換をしようとすると彼らは腰かけたまま私の名刺を受取り、
そのうちの二人は彼らの名刺を差し出してきた。
何か異様な雰囲気だ。
左に座っている日本語を全く喋れない男が彼らの大ボスであるようだった。
真中に座っている男が日本語を話せるようで、彼が自分たちの自己紹介を始めた。
大ボスはどうやら、祖国では非常に有名な人間で、ビジネス的にも大成功を成し遂げた人物であり、
とあるプロジェクトを日本で始めたい。
ついては私に協力してほしいというと、事業計画書なるものを私に見せた。
大企業でもない私の会社をなぜ選んだのか?
まず素朴な疑問が湧いた。
というより、こんなにも日本の知識もそれほどなさそうなアジア人が、
どうやって無名の私の会社を見つけたのか?
そのことにまず驚いた。
理由はそれなりにあった。
確かに幾つかの条件は該当している。
それにしても不思議な思いがした。

話を前向きに検討する、と返答してその場は終わった。
2005年といえば、インターネットも普及はしている。
早速、彼らの会社を調べたが、全くそれらしい情報は出てこない。
大ボスの名前を調べようとしても、日本語では全く出てこない。

その後、何度か彼らと話を進めた。
どうやら彼らは本気であること。
話を聞けば聞くほど、大ボスは祖国では非常に有名な人間であること。
世界中100カ国以上を旅していること。
映画製作にも携わっていること。
他にもにわかには信じがたい(自慢)話をたくさん聞かされた。
どの話が本当なのか、全てをやみくもに信じるのも抵抗はあったが、
ただ一ついえるのは、この大ボスは稀にみる人間力を持った人物であるということ。
とりまきの男がいないと会話が成り立たないのだが、この男のスケールの大きさは
けた外れのものであり、日本ではめったに出会うことのないタイプの男であることは
疑いの余地がなかった。
彼に誘われ指定した場所に行くと、高級会食であれホテルのレストランであれ、一切私に支払いをさせなかった。
小銭に困っているような男ではなさそうだった。
私はそれでもなぜ、私とビジネスをしたいのか?真意を探りあぐねていた。

何度か彼らアジア人と話を継続しているうちに、
海外の関係会社の幹部が来日することになり、ひき合わせることにした。
6人ほどで会食をした時に、大ボスが自分の紹介を外国人にもわかりやすくしようと
持参してきた写真数枚をテーブルに広げた。
そこには、世界でも有名なある政治家と彼が二人きりで、
どこか勇壮な公会堂のような広々した部屋で二人きりで話し合っている姿や
二人で並んでいる姿が数枚。
アジアの見知らぬ異邦人の大物ぶりが、言葉の伝わらない海外の来客に十分伝わった瞬間だった。

海外の客は、この大ボスの人間のスケールの大きさに理解を示すと共に、
気を良くして幾つか私に伝言を残して帰国していった。

それからまた定期的に話し合いを続けるが、どうやら彼らの興味は
私の会社から私個人に移って行った気がする。
私も何か彼らにしてあげたい、という気も大きくなってきた。

そしてある時、私は腹をくくって勝負に出たのである。
それは、会社とは別に私個人で別会���を作り、
そこであるビジネス・サイトを立ち上げサービスも提供する、という案である。
自分のいる会社の範疇で彼らの途方もない案を実現するには、
調整も難しいし、個人の範疇でやる方が実現性もある、と判断したのだ。

ある高級中華レストランに招かれ、その席上で私が作ったビジネス計画を彼らに説明した。
大ボスがこういう資本や大きなお金の流れるビジネスのプランや
役回りについて考えることに長けていることは、改めてこの話し合いで分かった。
お金の取り分について意見を交わした。
概ねそれも合意。
その晩はそれ以上、ビジネスプランについて語ることはなかった。

ホテルの上階のレストランから見える夜景を見ながら、
大ボスのカジノの話や映画製作の話等を聞き、そしてふいに日本の温泉の話になった。
その大ボスは日本の温泉が大好きでしょっちゅういろいろな温泉に出かけていることは聞いていた。
なんでも100か所以上の日本の温泉に行ったことがある、とことなげに言う。
その理由を聞くと、
彼は中国大陸を車で三日三晩、チベットに向かって走り続けた話を始めた。
死を覚悟して走り続け、わずかなトマトの水分で命をつないだ体験は、
水というものに対する感覚を根本的に変えたのだという。
一件健康そうに見える彼の体だが胃腸を少し患っているといい、
日本の温泉が彼の体調を非常によくしてくれるのだという。

「上川さん。
日本の温泉は地球の涙です。
水に苦しんだ私にとって、日本という土地は、水が溢れて湧いて出てくる。
その水は人間の体を癒してくれる奇跡の水です。
日本は本当に素晴らしい」

私は初めて彼が、なぜ日本が好きで温泉好きなのかがわかった。
そして、彼はポケットから数珠を取り出した。
それは虎琥珀の数珠だった。
「これは生死をかけてチベットに着いた時に、チベット密教の修行僧達が
最も厳しい三日三晩寝ずに激しい修行をしたときに“気”を入れ続けた数珠なのです。
今日の貴方のビジネス計画はとても感銘を受けた。
これを貴方にあげます」

といって、私にその数珠をくれた。
その数珠の輝きは、チベット密教修行者の気が黒光りしたオーラのように見えた。
何かいよいよ戻れない別次元の世界へこの男と進みだす大きな流れを
感じた忘れられない一夜だった。

それから数日して、私は彼らのことをもっと知りたいと思った。
いかんせんネットで調べても大ボスの素生はわからないままだし、
取り巻きの会社も小さい会社で調査会社に依頼しても全く分からない。
そこで、つてをたどって大ボスの祖国のある人に、
彼の素生をわかるだけ調べて教えてくれ、と頼んだ。

果たして数日後、幾つかの新聞記事の日本語訳とその人のコメントが添えられた一通のメールが届いた。
意外にも、大ボスや取り巻きから聞いたスケールの大きな過去の話はほとんどが本当であった。

ただ一点の事実を除いては。

確かに彼は祖国の天才、スターだった。
ビジネスの才覚もあり、大成功を遂げていた。
しかし、彼は後年あるビジネスで大失敗をして、
国を巻き込んでの大きな負債を抱え、
国から追われていた身であり失踪中である、と新聞に書かれていた。
この情報提供をしてくれた人のメールの最後の文には、
”この人と関わることがあれば十分慎重に”とあった。


そう、彼は逃亡中の身だったである。
私はこれで、何か全て納得がいった気がした。
大金は今も持っていて、日本で生きていく金はある。
彼を慕っている信者も多く、彼をかくまってくれる人脈もある。

しかし彼は大復活を日本で遂げたいのだ。
家族は祖国で半分人質のような身となって置いてきている。
日本でもう一度全精力を傾けてビジネスで成功を収め、堂々と祖国へ戻る。
かつて大天才と言われた地位と名声そのままに、祖国でまた暮らしたい。
大ボスがそう考えていることを、今までのすべての会話から読み取ることができた。

最初に彼からもらった事業計画を改めて見た。
参画している人間や企業は、微妙に日本の大企業ではないし、
人物も大企業に所属している人間ではない。
つまりこの事業計画を見ても、その信ぴょう性を確認できる人物や企業はないのだ。
大ボスの肩書も日本でのものであり、祖国の確たる組織ではない。
巧妙にできているのだ。

私はこのメールを読み終えて、しばらく放心状態となり、
頭の中で今後のことをぼんやり考えた。
のらりくらりとかわしながら彼らから身を引くか?
積極的に今までと同じ勢いでやる話ではあるまい。
今後の彼らの出方次第にしよう。
そう結論づけた。

ところが不思議なことに、私が彼らの正体を知るや否や、
彼らから一切、連絡がこなくなった。
彼らは、私が彼らの詳細を知ったこと等、絶対わかるはずはないのに。
私から連絡をする気はなかったので、彼らから連絡がなければ会うきっかけはない。
彼らにとっても私という存在は、生き残りをかけた数少ない札だったはずだ。

どこか異次元の世界から迷い込んできたように私の前に忽然と現れた男たち。
ちょうど私が彼らの正体を知ったところで、まるで夢から覚めたかのように
私の現実世界から消え失せていった。

これもまた彼ららしい最後か?と思うことにした。
実際私は何か損害を被ったわけではない。
私の手元に残ったのは、最後の一夜となった晩にもらった虎琥珀の数珠だけだ。

アジア大陸でも有数のスケールの大きな男の生命力は、
たとえ今後どのようなことが彼の身にふりかかっても、
しぶとく生き抜いていくような気がする。
もう会うことのない大ボスは、今も日本のどこかで息を潜めて、
温泉に浸かっていることだろう。
一体彼らが私に近付いてきた真の目的は今もってわからずじまいだが、
憎めないアジア人3人組と過ごした当時の時間を思うと、
どこか間抜けな悪党4人組が夢だけは大きく銀行強盗計画を立てて、
あっけなく仲間割れで事も荒立てないうちに散会してしまたような、
面白くもありどこかはかない昭和40年ぐらいの漫画喜劇のような顛末である。
個人史的な小さなこの喜劇は、私の大したことのないがらくたの
活劇フィルムのような記憶の山の一つとして、自分の胸に収め続けることにしている。


話をヨットの少女に戻す。
信念を持ち、夢の実現に向かう人間の行動力は、果てしなく強い。
地球の壮大な大自然の中で、ちっぽけな生命力はエメラルド色の輝きを放ち、
決して大地や大海に埋もれようとはしない。
大成功した稀代の冒険家であれ、人類の歴史を変える発見をした科学者であれ、
どこかのアジアの国の大ボスであれ。

現在ヨットで世界一周を目指す彼女の旅の道のりは、やっと予定の半分ほど過ぎたところだ。



(終)


2010年6月13日

タイトルとURLをコピーしました