旅に出る


旅に出る。

といっても、実際に職を捨て流浪の旅にでるわけではない。
まとまった休暇を取って海外旅行に出かけるわけでもない。
思えばここ5年ほどは、都会の隅で汲々(きゅうきゅう)と働いて過ごしてきた。
その前の人生の過ごし方のしわ寄せがたたり、刑務所で罰をうけるかのように自分の指先だけを眺めてきたわけだ。
その間に50歳も過ぎ、体も心も年相応のよれ方を自覚し始めている。
株は相変わらずやっている。
ばくちを打っている時だけが生きている瞬間を味わえる。
もはや麻雀程度ではばくちのスリルなど味わえない体となり、わずかな全財産を全力で勝負する賭けでしか、自分の存在価値を感じることができなくなり久しい。
小銭を当ててはカメラや服など好きなものに使い、宵越しの金は残さぬようにして、募金のように残らず金はばらまいていった。

相変わらずの人生である。
ただ、腰が重くなった生活がひどく気に入らなくなっていた。
そんなところに個人的な事情が重なり、また旅の人生に舞い戻る気になったのだ。
旅、といっても今の仕事や所属先を変えてどこか行くわけではない。
よそ様から見たら何の変化もない人生だが、私自身の内面は、またふらふらと放浪の旅に出るのだ。

今まで以上に外へ出て、人と会うことにする。
カメラを持って、新しい人たちと出会う。
そこで出会う人たちとの時間を大切にしよう。
独りの時間と同じように、沈黙すら仲間との時間は楽し。

満足に体が動き、感性が生(せい)を感じることのできる残りの人生の時間は確実に限界を感じている。
自由な旅は、最後の放浪に近づこうとしている。

(終)


2016年10月11日

タイトルとURLをコピーしました