アクセル


ただ無駄に膨大な年月を費やしてきた自分にとって、たくさんのどうでもいいことや、
本来であれば常に思い出していなければいけないことも混沌として自分の脳の中に収まっている。
日々の歯車の中で単調に頭を巡らせることでほとんどの時間が過ぎている。
何もしてこなかったようで、いろいろくだらないことに対して大真面目にエネルギーを使ってきたこともあるが、
そういうことも普段は思い出さない。
しかし時には過去の悔いを蒸し返して、NHKの将棋番組の戦局の感想のように、
決して変わらない結末の足跡を、ああだこうだと一人で振り返ったりもしている。
ともあれ、全てはもう人生の大半を過ぎた長い記憶のコマが、
整理し切れていない映画館の倉庫内の膨大なフィルムの山のように、
自分の脳内に放っておかれている。



目の前のエレキギター用マルチエフェクターについているペダル。
このエフェクターには音を歪ませたり綺麗にエコーをかけたりと多様な機能があり、
効果的に音を変化させるためのペダルも一緒についている。
ギターに興味のない人にとっては、まるで車のアクセル・ペダルのようであろう。

アクセルというと、普段決して思い返さない古い記憶の一つを思い浮かべたりもする。




10代、もっと具体的に言うと、16~18歳の高校生時代は自分にとっては苦い記憶の時代だ。
画家だったら“暗黒の時代”とか“青の時代”とか名づけるような色合いをなす時代の記憶である。

私の場合、高校時代といっても学校の記憶が普通の人に比べて希薄である。
その理由は単純で、あまり学校に通っていないからだ。
事情は詳しくは書かないが、その学校は私の在学中にある理由で留年制度を廃止したからである。
私はその制度を逆手にとって特に3年生になってからはほとんど通わなくなった。
学校としても留年してサル山のボス猿のように教室に居座っても、他の生徒に悪影響を及ぼすだけなので、
出来の悪い生徒は出席率や成績が足りなくても、とっとと卒業させて追い出した方が得策、
という合理的な(?)理由の故の制度だ。

というわけで、私にとって高校時代というと、学校の校門や教室のイメージでなく、
練馬や江古田あたりに通いつめていた2~3の喫茶店内の風景を思い浮かべる。
かといって、自由を謳歌した青春真っ盛りの思い出が詰まった光景とは違う。
むしろその逆だ。

18歳、高校の年次で言えば三年生夏~冬あたりの頃。
思えば失意にまみれた精神の放浪の時期だった。
私はあるプロ・スポーツ選手の道を志そうとしていたのだ。
受験して大学へ行って大学時代を面白おかしく青春の思い出に埋めるのではなく、
暗くストイックなあるスポーツのプロの道を歩もうとしていた。
しかし、諸々の大人の事情(ここで詳しく書くと、分かる人にはわかってしまうので伏せておく)で道が閉ざされてしまい、
文字通り“放浪”の身となってしまったのである。
純粋に夢を持って打ち込んだ末に、拠所ない事業が重なりあっけなく自分の人生はthe end.

ずいぶん短い人生だと当時は思った。
この先、生きていても仕方ないと真剣に思った。

学校には通っていない。
勉強は全くしていない。
ある大学付属高校に通ってたのだが、もはや大学進学は無理だ。
すぱっと心を入れ替えて一般の大学受験を目指して受験勉強を始めればよいのだろうが、
その頃は自堕落な夜遊びに塗れていて、とてもじゃないが今更しれっとした顔で
普通の高校生のように受験生ぶることなど無理だった。
何よりもそれまでの大人の世界に足を踏み入れた諸々の過程で、
当時の純粋でナイーブな若者の心は大いに傷ついており、
もはや普通の未来ある高校生の心身状態に戻る気力は全くなかった。

そうはいっても無垢な17���18の若者時代の事、悪友達とはディスコや喫茶店浸り、夜はマージャン、
バイクを持っている友人の後ろにのっかり深夜のツーリング等、遊びの発散は十分していた。

しかし高校三年の冬頃、自分の夜遊びに付き合ってくれる友人は減ってきた。
当然だ。
大学受験する人間は追い込み時期だし、就職する人間にしても何かいろいろと準備もあるのだろう。
昼から深夜まで私に付き合う人間はいない。
大抵の友人の親は、私なんかと付き合うな!と自分の息子達に言っていたらしい。
漠然と将来の不安も大きくなってくる。
厄介な事に、就職したいとも思わない。
専門学校のパンフレットも一通り揃えたが、ピンと来る職種も学校も見当たらない。
お先真っ暗な身分の割には、今思えば選り好みし放題だ。
確かその頃は昼間は、当て所なく喫茶店のアルバイトをしていたと思う。


夜はいつものように幼馴染みと夜は喫茶店で待ち合わせ、
一通り他愛もない会話で時間を十分潰した後、
他の友人達が帰宅するのを待って4人の面子を集めてマージャンをした。
確か夜の12時頃にはその日は終えたのだろうか?
江古田の商店街を歩いていると、女の子が我々を見つけ声をかけてきた。
その子はやはり同じ小学校の同級生だったK子だった。
髪を茶髪に染め、この街のスナックに働いているという。
その子はたしか小学校の自分から事情があり両親と離れ離れとなっていておばあちゃんと一緒に住んでいたと思う。
まともに高校すら行かず、詳しくは聞かなかったが今はスナックで働いているので店に来てよ、
と声をかけられ、皆で本当に店に行ったのを覚えている。
その後の記憶が全くないが、恐らく何度か皆で店に行ったのだろう。

記憶にあるのは、K子が言った
「今の生活はとても楽しいのよ」
という力の入った言葉だった。

恐らく、推測だが、K子からしたら、両親が居て高校に通っている私達
(正確に言えば私はそうでもなかったのだが)
男子達は眩しく映ったのかもしれない。
楽しそうに高校生活を謳歌している我々を羨ましく思い、
自分は同世代とは違う世界で苦労をしているようには思われまい、
と肩に力の入った感があった。

もっとも私達もその面子たちは優等生とはかけ離れていた個性的な奴らばかりだったので、
スナックに勤めているといっても、何か見下したり卑下したりという事は全くなく、
素直に夜の時間を共有できる仲間が一人居た、ぐらいの感覚だったのだが。

とはいっても私の心のどこかでK子の境遇は心に残った。
今とは違い、当時18歳でスナック勤めを始めている子は異彩を放っていた。
無意識だが、自分の置かれた状況といい、共感というか、同じ穴のむじなだと思ったのだろう。
恋心とかは全くなかったし、実際何度か皆で店に行っただけで、しばらくすると店にも行かなくなった。

確か12月に入った頃だったと思う。
いよいよ自分の身の振りどころを考えなくてはいけなくなってきた。
学校はもう私のことをとっくに見放していて、親も心配しながらも、
あまりに特殊な境遇に身をおく私の胸中を図りきれないでただ遠巻きに私を見ている。



ディスコに行っても何をしても心から楽しめない。
苛立ちと荒んだ気持ちが日に日に増してきたころだ。
ある日の事、徹夜マージャンになった。
徹夜になったのだから、他の高校生だった友人達が
次の日が休みの金曜日から土曜日の朝にかけての時分だったのだろう。

ふらふらになり、完全にお天道様が上っている冬の空の下、
バイクで自宅に戻る途中、急にK子のことを思い出した。
最近会ってないな、と思い、何か彼女の事が愛おしく思われた。
この感情も恋愛感情とは違う。
なにか同じ社会の底辺同士の境遇の哀れみ、
というのが正直な感情だったのだろう。

彼女のアパートの前にバイクを止め、部屋の前に立った。
そしてドアをノックしようとしたとき、笑い声が部屋の中から聞こえてきた。
よく聞くと一人の声ではない。
他に男の声がした。

私はその時の笑い声を今でも鮮明に覚えている。
その笑い声を聞いた時、何か非常に嬉しく思えた。
幸せの塊の響きに聞こえた。
K子は威勢を張っていたのではなく、本当に楽しい生活を送っていたのだろう。

そしてゆっくりとアパートから離れると、なぜか心に誓う気持ちがみなぎってきたのだ。
“自分も幸せになろう”
“人の心配をするのではなく、今こそ自分の心配を真剣にする番だ”
当時の自分の柄にもなく、真剣に誓った一瞬だった。

何か心の中で、アクセルを踏み込んだ瞬間だった。

遠い30年近くも前の、古ぼけたアパートの前の記憶は、
今に至るまでの人生のアクセルを踏んだ最初の一瞬として、
時折何かの弾みで記憶から沸いて降りてくる。




(終)


2010年3月23日

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