さいころの思い出




もうずっと前から麻雀荘では全自動卓でサイは機械的に振られるし、そもそも麻雀もインターネットやゲームで
行われるものとなって久しい。本物のさいころを転がす機会も、時代の流れに身をゆだねた堕落した生活をしていると、なかなかないものだ。

岡本おさみ氏が作詞した吉田拓郎の「落陽」。
実際に岡本氏が東北から北海道にかけて旅をした時に出会った、ばくちで身をもちくずした男の唄だ。
その男からもらったさいころを、仙台行きフェリーから海へ投げ捨てる。
映画の風景のような実体験の旅風景を、詞として切り取った味わい深い名曲だ。

さいころには自分も思い出がある。
高校から浪人時代、そして学生時代までは、仲間と麻雀にうつつを抜かしていた。
高校はあまり真面目に行っていなかったし、大学に行く気もなかったので、時間はもてあましていた。
幸いにも自分の仲間も、受験勉強とはあまり縁のない人間がまわりに多かったので、
夜は友人の家で麻雀に明け暮れていた。阿佐田哲��氏の麻雀小説はほとんど読破していたし、
行きつけの喫茶店に置いてあった麻雀漫画「下駄を履くまで」等、当時は麻雀が身近な文化的
(といっても今でいうサブカルチャーに近いのかもしれないが)匂いを醸し出す文章や漫画があり、
人生を横道に身をゆだねても何かよりどころのある受け皿があった。


その頃、一人おもしろい男がいた。
N君としておこう。
そいつは自分の中学校の同級生だった。私と違って運動部にいて学年中の人気者。
根っから明るく決して人には憎まれない稀な存在感の男だった。
高校卒業直前ぐらい、たまたま友人を通して再会した。
N君は中学生の時から麻雀でも有名だったが、麻雀好きはさらに磨きがかかっていたらしい。
他の友人達と一緒に麻雀をやることにした。
N君の特技をそこで拝見することになる。それは、さいころの目を自由に出す技だ。
中途半端ないかさまではない。高度な技術を身につけているのだ。
それは二つのさいころを、一つは中指と薬指の間に、もう一つを中指と人差し指の間に挟みこむ。
野球のナックルのような握り方をして、対面の牌の山にぶつけるのだ。
跳ね返ってくるさいころが自分の山、つまり5か9になるのだ。
一つはわりとあっさりと目が出て、もう一つはくるくると回り続け、最後にぱたっと目がでる。
この確率が驚異的で90%は出せるといっていて、私とやっていて目をはずすことはなかった。
これは知らない人間とはできない。いかさまとはまた違う。
さいころ転がし自体が芸なのだ。もっとも詰め込みなどをやると本格的ないかさまになるが、
仲間内の麻雀でそんなことはしない。彼自身、このさいころころがしの芸自体で十分満足している。
麻雀の腕は十分にあるので、あとは運も含めて麻雀を楽しんでいる。
最初に見たときは驚いた。
聞くと彼は中学時代、一日1000回さいころを振っていたという。
あきれた中学生だ。それで中学時代から既に目を自在に出せたという。

それを聞いて自分も一日300回ほどしばらく練習をしていた。それでもN君のようにはいかない。
確率にして70%ぐらいだっただろうか?それでも彼のような確かさは最後まで自分は得られなかった。




そんな愚かでのどかな、しかしどこかに皆、焦燥感を少し胸にしまいこみ、
もがきながら過ごした青春時代。
振り返った時に、様々な人の顔や葛藤が思い浮かぶが、何かの拍子で、
さいころが思い浮かぶ時がある。

毎日が小さい運の分かれ道。
自分の努力で全て切り開いているようで、
実はただ単に牌を積もっていけば自動的にその回は終わる麻雀のように、
何てことない時間の連続かもしれない。
何者にもなれていないが、とりあえずなんとか生きている自分がここにいる。

あれから30年近く、何万回、いや何百万回と細かくさいころを振り続けた
結果の色模様として今の自分の足跡がある、とも思える。

ちなみにN君は今、東京都23区内のある区議会議員として活躍をしている。

(終)



2009年5月23日

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