株の魔力


もう誰も株の話なんかしたくないだろう。
金融恐慌。100年に一度の不況。

数年前まで日本に根付いていた株式投資も、リーマンショック後の株式暴落で全て吹き飛んだ。
プロもアマも想定外の大暴落に、甘い夢の幻想の奥にあった味気ない現実の世界を突きつけられた。
元々昔も今も株で儲かる人は少ない。統計上でも一定の年数以上1円以上も受けられているのは
3~5%ぐらいのようだ。 感覚的にもそんなもんだ、と思う。

自分は本質的に勝負事が好きだから株をやっている。
理論と運の比率が、好きなように解釈できるところが、マージャンと似ている。
自分は、いろいろ試行錯誤の結果、数年前からは単純に自分のばくち感と
度胸をためす鉄火場だと割り切っている。
経済がわかるから、企業分析に役立つから等もっともらしい能書きはたくさんあるが、
そういうものは全部捨ててしまった。
楽しんでいるというと語弊があるかもしれないが、結局は勝負事を楽しむ
自分の唯一の人生の娯楽の場なのである。
儲かってそのお金で何かものを買ったりすることは一切ないし、
間違って大金持ちになる夢もみていない。そもそもそういう賭け方をしてないからだ。
自分なりの株の売買の考え方、大げさに言えば株の売買哲学を自分なりに持っており、
それに忠実に真剣に勝負をしているだけなのだ。

もちろん昨年の後半はやられた。リーマンショック時にはその前までの
10ヶ月間の損を全て取り戻すトレードに成功し、自信満々に仕掛けて、
その結果見事に吹っ飛んだ。
いろいろ敗戦の弁はあるが、一思いした後はそれもぐっと飲み込んで手仕舞った。

人間現金なもので、その時は株からは足を洗おう、と真剣に思った。
いかに冷静なようでいて自分がのめり込んでいたのかも、
目隠しを急にはずされ眩しい太陽に急にさらされたかのように、現実に返った。
もちろんそれ以来、また株に対する考えは大きく変わった。
しかし、今も株価を毎日見ている自分がいる。

勝負のリングの景色は一変した。
リングの周りをとりまく客の目の色も。絶望的で表情も暗く、
既に多くの人々が去った後の、置き去りにされた新聞紙やらゴミやらが
空席の合間の足元に散乱している。
それでもまだ人は残っている。
理論もへったくりもない。そこにあるのは時間が続く限り繰り返される
始まりの合図と終わりの合図。
そこに勝手に熱狂したり落胆したり、勝手な思いをのせる人間の情念の彷徨いだ。

そんな末席に小さな紙くずを握り締めた自分が、
終わりなく繰り返される壮大なうねりの空間に、未だに身をゆだねている。

(終)


2009年2月16日

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