ロックの行く末




尖閣諸島問題で大いに揺れている日本と中国。

“揺れている”といっても、中国の一方的な揺さぶりに、なすすべもなく“揺られている”日本という図式だ。
このHPで政治や経済のことを延々と書き連ねることはしないでいるが、今回はこの事件に絡めて書いてみる。

日本の政治がだめなのは今に始まったことではないが、第二次世界大戦後、
歴史的ともいえる政権交代が昨年起り民主党政権に代わって以来、
日本の崩壊とも言える事象が散見される。
マスコミや国民は民主党政治家を叩くが、私は政治家というのはその国の国民の写し鏡だと思っている。
沖縄の米軍基地移転問題にしろ、今回の中国との尖閣諸島問題にしろ、
日本国民が大規模に集会を開いたり活動をしたりして
民意が大きなエネルギーとなって意思が明示されたことはない。
むろん人々の間にはいろいろな意見がある。

米国基地の問題も突き詰めれば、日米安保によりアメリカに日本を守ってもらう派、
あるいはアメリカに守ってもらうといっても高額なコストの割には当てにならないので
他の道を選ぶ、のどちらかになる。
後者はさらに理論的には、アメリカの代わりにどこか他の国に守ってもらうか?
(そんな気前のよい国などそうそうあるのか?と普通は考えるが・・・)か、
いよいよ自分の国のこと、自分で守ろうか?と、論理的にはこの3つの選択肢しかないはずだ。

しかし日本は、“空気による支配”の国。
長年、タブー、タブーと叫んでいるうちに、あらゆる問題に対して思考停止状態に陥っている。
今や国民は声を大にして国を左右する大きな問題には関わらなくなった。
週刊誌やTV等を通して聞こえるニュースに対して、”yes”か”no”かを呟くぐらいの行動しか起こさなくなっている。
これほどにも、国民の意見や行動が全く見えない国は稀だろう。
そんな国民の中から選ばれた政治家が、満足に意見や行動を取ることもできないのは或る種必然的ともいえる。

先日、私のblogで、「ロシアの怒れるロッカーたち」というNewsweeks誌の記事を紹介する文を書いた。
未だに政府からの情報統制や汚職で不満が渦巻くロシアでは、プロのロック・シンガーや怒れる才能ある若者達が、
体を張って社会問題に対して、ロックを通じて声をあげている。
中でも代表的な人気ロック・シンガーであるユーリ・シェクチュクは、
警察当局の監視の中、モスクワ市によりマイクの使用を認められないにも関わらず、
生ギター一本で雨が降りしきる大群衆の中でプロテスト・ソングを歌った。

今、アメリカやヨーロッパ諸国、そして日本では、’70年代初頭以来、
ロックを通じて社会に訴えかける動きはもう見られない。
ロックは、音楽産業の一ジャンルにすぎず、“商品”として淡々と流通されている。
ロックとポップスの違いは?と人々に尋ねても、エレキ・ギターを前面に出した音楽か否かの違い、
という答えが返ってくるぐらいだろう。

 


そんなことを考えながら昨日は二つの音楽イベントに足を運んだ。
一つ目は全国ナイスミドル音楽祭2010 東京会場。
宇崎竜童氏が実行委員長を務めている、所謂“親父バンド・コンテスト系”のひとつだ。
原宿クエストで16:00 開演に合わせて入場した。



会場の年齢層が非常に高いのに驚いた。
50代、60代が一番多かったのではないだろうか?
一方出場者10組だが、意外と年齢層は低い。
出場規約ではバンド・メンバーの一人が35歳以上であれば資格がある。
鑑賞していて、この出場バンドの年齢層と観客年齢層のギャップが、私には一番印象に残った。

このコンテストのタイトルは“ナイスミドル音楽祭”であり、“ロック”や“親父バンド”といった言葉は使われていない。
そのせいか、ロックは大体半分ぐらいである。アコースティック・ギター主体のバンドが半数近い。
グランプリに選ばれたのもアコースティック・ギターのバンドだった。
多数応募から選ばれた精鋭の10組の演奏能力が高いのは言うまでもないが、
バンド・メンバーの家族との絆や、若い頃から現在に至るまでの仕事や生活の変遷に、
ストーリーを求めているように見えた。

”ミドルエイジと音楽との関わり”、がこのコンテストのテーマなのだ。
会場の観客は参加バンドの身内がかなり多かったと思われるが、
その関わりに対して自分たちが半当事者であったりするし、
その関わりに対して深く自己投影できる人たちだ。

音楽のコンテストであり、実際グランプリに選ばれたのは圧倒的なテクニックと
音楽性で群を抜いていたバンドが選ばれていたが、コンテストを通じて見えてくるのは、
中高年のアマチュア・バンドのメンバーの音楽と人生の関わりだ。

グランプリ選考が終わって会場を後にすると20分ほど歩いて、
渋谷の七面鳥カフェについた。
ここでは「日本のフォーク・ナイト」というタイトルで、’60年後半から’70年前半の
日本の懐かしいフォーク・ミュージックをかける、という企画だ。

店内は開店から一時間ほどで満員になった。
今や絶版となったLP中心で懐かしい音楽がかかり、若者から当時の音楽を
リアルタイムで聴いていた年代まで様々な年齢層のお客さんが、同じ店内の空気を共有していた。

’60年後半から’70年前半のフォークやロックの最も熱い時期に、
今40代以後の人たちが若かりし頃、現代とは想像もできないほど真剣に音楽を聴いたり演奏していた。
当時は、ただフォークやロックというジャンルの音楽ではなく、
自分自身の青春や社会へのメッセージを音楽や詞に託していたのだ。
大げさにいえば音楽=人生というぐらい、音楽の存在は大きかった。


そんな時代も早や35年以上も前のことになる。
冷静に考えると、相当大昔の話だ。
時が経てば経つほど、往年の時代との距離は広がるばかりだ。

今はまだ当時活躍していた国内外のロックやフォーク・シンガーもまだ一部現役で活躍をしている。
とはいっても多くは50代から60代だ。
彼らも20年後、30年後はもう流石に今のように大規模な会場で
エネルギッシュなステージを披露することは不可能だ。


「ロックやフォークは果たして生き残ることは可能だろうか?」
最近、今回の七面鳥カフェの企画や、ロック関係のイベントを見聞きするたびに、
浮かんでくる疑問である。

日本のタンゴやシャンソンの現状はどうだろう。
ロックよりもいち早く日本で洒落た大人たちに聴かれていた音楽だ。
’50~’60年代に聴いていた日本の音楽ファンは、ロックやフォーク世代よりも
遥かに年齢層は高く、当時の現役ミュージシャンも今はいない。
今、タンゴやシャンソンがかかる店は極めて限られており、
ごくマニアックな音楽ジャンルとしてとどまっている。

“フォークやロックと、タンゴとシャンソンの違いは?”

音楽理論的な説明以外に、その違いを見出すとすれば、
それはかつてのアメリカやイギリス、そして日本で見られたように、
フォークやロックは、ミュージシャンや聴衆が人生のメッセージを音楽に込めて、
社会を動かすような力を発揮できた点にある。
これがフォークやロックと、他のジャンルの音楽との唯一最大の違いである、といえよう。
このままフォークやロックも、ミュージシャンや聴衆が高齢化しても、
色あせずに一定の熱を持って音楽が存続するかどうか?は、
この一点にかかっているだろう。

それでは、フォークやロックが、今のロシアのように日本でも、
社会の矛盾や人々の生きる希望を代弁するような存在に復興できるか?

今のところ、そのような気配は全く感じられない。
むしろその逆、と言っていいだろう。

日本国民の民意はまるで空気中を漂流しているようで、決してそれ以上力強い言葉として形にはならない。
ロックに込めるべく怒りや社会に対しての言葉を国民が持っていないのだ。
ここでいう言葉とは、単なる愚痴や評論ではなく、自分自身が行動するための言葉だ。

はっぴぃえんどが今の若者の間でも聴かれている。
松本隆の“風街”世界観を構築する言葉の響きは、時代に関わらず共感を得られるようだ。
はっぴぃえんどの言葉の世界が今の若者に共感されているのは、
その音楽性や世界観が秀逸な点以外に、
今の日本国民の魂が“漂流”し続けているからではないだろうか?

今の日本が“失われた20年”と海外で評される漂流をこのまま続け、
いつのまにか“迷走”、”低迷“という外観に至り、このままさらなる漂流を続けるとどうなるのか?

人々がこのままメッセージを心の中に持つことなく、さらなる漂流を続けるならば、
それはロックやフォークが根付く状態とは最も程遠い状態である、といえる。

生きる希望を持ち、生命力にあふれる人々が息づくところにのみ、
フォークやロックは人々と共に生き続けるのだ。



(終)


2010年9月26日

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