「ヨウジヤマモト」との邂逅


ここの文章を書くのは3年ぶりである。
3年前というのは、自分の生活の変化の節目だ。いささか進退極まった状況から
必死でもがき、人様なりの生活感になってきたのが1年前ぐらいだろうか?
小市民の片隅でお天道様が出る頃から月夜の下、帰宅する凡庸な日常に滑り込んで久しい。
趣味事の創作も、それなりに続けている。撮影対象や表現方法はふらふらと模索が続いており、
今もその迷いの途中だ。

その過程で刺激もあった。
”ヨウジヤマモト”の服の出会いだ。

もともと”ヨウジヤマモト”のフォトグラファーとして’80年代後半に撮影を手掛けていたNick Nightの作品のファンだったので、彼の作品やインタビュー記事を読んでいた。
昨年5月ごろ、たまたま本屋で手に取った山本耀司氏の本「My Dear Bomb」を買って読み、
山本耀司氏の服に対するこだわりに感動し、一気にはまった。
漠然と’80年代より日本を代表するデザイナーという知識はあった。
コムデギャルソンの川久保玲氏と共に’80年代に世界に”黒の衝撃”をもたらしたデザイナー、
というのは、我々の世代の人間にはよく知られている。
それだけでも畏敬の念を抱くに十分な功績なのだが、本で書かれているのは、
服作りに対する強烈な信念や哲学だ。

「デザインが服を作るのではない。布地が、いったいどういう具合に垂れたがるのか?
揺れたがるのか?落ちたがるのか。その意識をもって注意して見ていると、
次第に布地自身が語り始める。
「わたし、こういう服になりたいの」」

耀司氏によれば、完璧にカッティングされた服を生身の人間が着用すると、
その重みをまったく感じさせない、という。

’80年代から現在に至るまで、年2回のパリコレに全力を傾ける。
真剣勝負の最高の舞台に、身を削りながら毎回、
ステージ当日ギリギリまで骨身を削り続けている。
他ブランドや流行りとは決して迎合せず、世界トップランナーとして孤高の道を歩み続ける
偉大な日本人デザイナーは、アートとファッションの境界線にも厳しい。

「アートだのコンセプトだの何打のと云々する前に、まず生きることだ。」
「すべては生きることから始まる。」

本を読んで以来、ヨウジヤマモトの服を貪るように買い込んだ。
偉大な日本人デザイナー、として誇りを感じてのこともあるが、
もっぱら昭和の日本人の感性や葛藤が、稀代の日本人デザイナーにより凝縮され、
こだわりを持った不器用な人間のために作られた服、という受け取り方をして、
自分はヨウジを着ている。




(終)


2015年8月16日

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