ナマズ「M」との格闘




株の話でも書くことにする。
昨年の大損切りから、しばらく株との距離を測りあぐねていて、今年の4月から再開した。
昨年の教訓を得て、トレーディング・スタイルも変えてみた。
こつこつと細かい取引を9月まで積み重ね、種銭を少しずつ回復していった。
そして10月は亀井ショックというはた迷惑なイベントが銀行株界隈で起きたのだが、
わかりやすい歪みが発生したおかけで、少しばかり稼がせてもらった。
その後も年末にかけて銀行株中心に、大きな上下の変化にうまく乗って
昨年の損失の三分の二近くを取り戻して今年を終えた。

そんな中でも印象に残った売買は、ある仕手株と言われる銘柄「M」。
この銘柄「M」は3年以上毎日株価を見続けている。
仕手株というイメージとは裏腹に、普段は湖面に潜むナマズのように不気味にじっとしている。
基本的にはこの銘柄は一日の取引が少なく、株価はほとんど動かない。
だから買い込むのも、売りさばくのも大変なのだ。
おまけに得たいの知れない危険のあるやっかいな銘柄なのである。

過去の株価チャートをみると、年に数回、突発的に数日上昇してまたすっと落ち込んでいく。
この突発的な上昇を見て、さらに上がるのを期待して買った人が大火傷を負ったりと
悲喜こもごものドラマが裏では起こっているのだ。
「チャートだけ見ていれば、ここら辺で買っておいて上昇するのをじっと待つのを繰り返せば
年に何回かは普通の株よりも儲けられる。」と安易に思える。
しかしこの「M」の老獪なところは、なかなかそうはいかない所にある。
いざ自分が買うとこのナマズとの不気味な我慢合戦に負けてしまうのだ。
過去2回ほど参戦していずれも惨敗している。
おまけにリーマン・ショック以後値動きのパターンも崩れてきており、
また緩やかな下降を続けていて、危険さを増してきている。
今度こそ絶好の買い場とばかりに、このナマズ「M」に秋にまとまった金額をし込んだのだ。
しかし今回も“だまし”といわれ、通常であれば買いサインがでているような表示のようで、
翌日からチャートの見た目を裏切り、さらに下降していった。
まるで自分が買うと、他の人間が自分を嵌めたかのように、
意思を持ってじわじわと下げていくのが、この銘柄の一筋縄でいかないやっかいなところだ。

「また今回もやられるのか?」
本当にしたたかな株なのだ。
今回の唯一の心のよりどころは、それでも比較的安値で買っている、という点だ。
非常に苦しい展開だったが、自分が買った値まではなんとか戻ってきたのだ。
しかしその後ずっと一進一退が続いていた。
先日、やっと年に数回あるすっと株価が上がる日が来た。
まるでナマズが待ちきれず、湖中に浮いているおいしそうな餌に一瞬食いつきに来たような感じだ。
あらかじめ指値で設定した売値に届き、自動で売買が成立。
年の瀬間際で、「M」との心理戦の攻防に終止符を打った。

湖面でじっとしているやっかいなナマズ「M」を、あの手この手で餌や仕掛けを仕込んで
じっと寒い湖で船の上から食いつきを待ち、体力消耗の直前で吊り上げた気分だ。
金額でいえば亀井ショックのどさくさで得た銀行株の方が儲けは大きかったが、
喜びはこのナマズ銘柄「M」に勝った方が圧倒的に大きい。

そして、危険と言えば危険なのだが、こういう危険なトレーディングをしている時に、
唯一生きている実感を味わっている自分に気づく。
体が十分動く人生の大半が過ぎ、もはやこういうことでしか生きている証しを感じられないのだから、
きっとどこか狂っているのだろう。
そもそも株式相場に参加している皆、狂っている。
しかも年々狂気を帯びているのだ。
今年の世界中の株価は昨年の教訓もへったくりもなく、何くわぬ顔をして上がり続けた。
そんな世界で、聖人君子のような顔をして参加しても、ただ本当に死ぬだけだ。

スリルを味わっても犬死にはしたくない。
と今はまだ精いっぱい強がって、あの世との世界の境界線をふらふらしながらあがいているうちに、
今年も終わりが近づいてきた。

街に流れたクリスマス・ソングは、こんな私でも、良識ある一般人であるかのような錯覚を起こさせてくれる。

数年かかると思っていた昨年の損失は来年には取り返せるかもしれない。
そんなことはどうでもいい。
今からナマズ「M[」との新たな一騎打ちを楽しみにしている。
チャートをみると明らかにリーマンショック後はパターンが崩れている。
新たな心理戦を自分に挑んできているのがありありとわかる。



来年はどんなひどい目にあうか、年が明けるまではわからない。
年末年始のしばしの休暇ぐらいは善人の顔をして、湖の底を覗き込む誘惑からは離れていよう。

(終)


2009年12月26日

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