年輪




いつか誰かにこの話をしたいと思っていた。

自分の体は昔から非常にバランスが悪い。
左右非対称といってもいいぐらい、体のつり合いが悪い。
左右だけでない。
首から腰に至るまでの背骨の前後のバランスもとても悪い。
それが故に、首や背骨の痛みやそれらが引き起こす呼吸の苦しさや全身の疲れに長年悩まされている。

この苦しみの歴史は長く、肩こりは中学生時代から遡る。
受験時代のストレスは、今考えると尋常ではなかった。
中3の時は勉強疲れで精神が擦り切れ、なんとか高校に入ったものの、その反動で惨憺たる高校生時代を送る
はめになった(と言っても、全て自分の身から出た錆だが)。
高校時代は腰痛、大学時代は腰痛を抱えつつ、やがて首の痛みとそれに起因していると思われる
突発性過呼吸症(当時はそういう言葉も一般的にはなかった)に悩まされた。
大学卒業直前まで、自分は一般の社会人生活を送るのは無理だろうと、暗澹たる気分でいた。
社会人になってからは、過激な症状こそ治まったが、首や背骨の痛みは定期的に襲ってくる。

自分としても現在に至るまで何の対処もしていなかったわけではない。
東洋医学的な知識や背骨と内臓の関係、大学時代にはカイロプラクティックにも通い、
そこの先生からいろいろ人間の体のことを教えてもらった。
武道や気功等もいろいろかじり、体に関する知識は相応に詰め込み、いろいろな運動も覚えた。
社会人になってから現在に至るまで、それ相応に社会生活を送れているのも、
なんとか局所的な対処療法を心得ているからだ。
その対処療法も、生きてきた歳月と共にゆるやかに進歩しており、バリエーションも広がってきている。

しかし本人としては、抜本的な解決法が欲しい。
ずっとそう思っていた。
人には恥ずかしくて言えないが、ずっと昔TVのヒーロー番組の一つ「人造人間キカイダー」というのがあったが、
まさにキカイダーのように左右非対称な体をずっと呪い続けていた。

それが今から7年ほど前、ふとした事で、その根本原因がわかった。
私は元々左利きである。
それが小学校2年の時に、親にペンと箸を”右利き”に直された。
それ以来現在に至るまで、字を書くことと食事は右手使いだ。
だから普通の生活をしていても、自分が左利きだということはなかなか気付かれにくい。
数年前、場所は忘れたが、紙と鉛筆を持って時間を持て余していた。
その時にふと、左手で鉛筆を握り、字を書いてみたのである。
すると、すっと胸の呼吸が楽になった感じがしたのだ。

その瞬間、“これだ”と思った。
自分の体は強固に“左利き”性向が強いのだと思う。
長年、右手で字を書くとすごく体が疲れ、息苦しくなるのだ。
それが当たり前となっていたので、右手を使うことが原因だと気付かなかったのだ。
学校を出て勤め人になってからは、ずっとコンピュータを使ってきた。
コンピュータのキーボードは基本、“両手使い”なので、自分の生来苦手な右手を酷使することがない。
だから、コンピュータは自分に合っていた、とずっと思っていた��だろう。
手書きでは、時々役所等にいって書類を書くと、自分の名前と住所を書き終わるだけで息苦しくなってしまう。
それも自分が長年コンピュータに慣れてしまっているからだとずっと思っていた。
それが、試しに左手で自分の名前や住所を書くと、体が返って楽になるのだ。
(最も左手で書く自分の字はとても汚く、人様に見せられるものではない。)

この原因が分かった時、自分の体が哀れで愛おしくなった。
長年、自分の本来動かすべき左手を封印して、(自分の体にとっては)不本意な動きを強いられていたために、
体が無言の悲鳴を上げ続けていたのだ。

それを知ってから体がすこぶる良くなったか?といえばそれほど事は単純ではない。
なにせ、長年この体は右と左の筋肉や神経の緩急が入り組んでいる。
そう、自分の感覚的には背骨や筋肉が左と右の複雑な折衷の陣取り合戦のような
様相を呈しているのだ。
“左利き”と“右利き”が混在した自分の体は、もはや単純な裁定は受け入れはしない。

そのアンバランスな骨と筋肉の織りなす様は、そのまま自分のすったもんだの長い人生の絵模様にも思える。
肩甲骨の右の背骨が痛くなれば首の左側がバランスを取るように痛む。
呼吸の苦しみをこらえながら何とか人様と同じ時間が過ぎるのを耐え忍ぶ。

綺麗な健康体の人を恨めしくも、変則なバランスでなんとか凌いできた自分の半生は、
年輪のように自分の骨と筋肉に深く刻まれている。




(終)


2012年6月29日

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